川越の概要

川越市は埼玉県の南西にあり、人口35万人の中核市、業務核都市、保健所政令市に指定されている市です。

埼玉県内では大正時代まで人口1位でしたが、現在では浦和・川口についで人口第3位の都市となっています。

年間700万人(2016年)が訪れる埼玉県最大の観光都市でもあります。

「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」……このように謳われるほど古くから「小江戸」と呼ばれている場所です。

特産品や名物としては、さつまいも・和菓子・うなぎの蒲焼・醤油・地ビールなどがあります。

この記事では、そんな川越の概要や地理歴史などをまとめてみました。

川越市の紹介

川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置しています。

地図で見てみると、川越駅・本川越駅を中心にして川越の地域が広がっていることが分かりますね。

川越市の大きさと位置

  • 東経:139度30分
  • 北緯:35度56分
  • 海抜:22m
  • 東西距離:16.27km
  • 南北距離:13.81km
  • 面積:109.16平方km

川越市の概要

川越市の土地は西から東へ向けてゆるやかに傾斜していますが、全体的に平坦です。

おおまかには北東部の水田地帯、中央部の市街地、 南西部の畑地帯に分けられます。

また、川越市は都心(池袋)から30キロメートルの首都圏に位置するベッドタウンでありながら、商品作物を生産する近郊農業、 交通の利便性を生かした流通業、伝統に培われた商工業、豊かな歴史と文化を資源とする観光など、 充実した都市機能を持ち衛星都市として発展しています。

川越市のシンボル

  • 市の花:やまぶき
  • 市の木:樫(かし)
  • 市の鳥:雁(かり)

市の花である「やまぶき」は、江戸城や川越城を築城したことで有名な武士、太田道灌に関係がある花です。

「樫」は、昔から川越に自生している木で、屋敷の防風・防災のために親しまれてきた木です。

また、樫の木は堅くて粘りがある耐久性の高い材質として用いられ、農具や建築用材など人々の暮らしに大きく関わっています。

「雁」は川越で詠まれた和歌に数多く登場したり、初雁城(川越城の別名)や初雁公園など様々な名前に取り入れられたりなど、川越に密接な関係のある鳥です。

川越市の人口

川越市は埼玉県で最初の市として大正11年12月1日、30,359人でスタートし、昭和30年の合併でいっきに10万人を超えました。

  • 平成12年10月1日現在:330,766人(国勢調査より)
  • 令和3年2月1日現在:353,214人(川越市公式サイトより)

川越市の人口は少しずつ増えており、2015年には35万人を超えることとなります。

出生率の低下などの要因のため、増加率としては低い値になっています。

しかし、都心へ通勤しやすい立地であることから社会増(転入などによる増)によりほぼ増加のまま現在まで推移しています。

複数の路線が通っており大型商業施設や商店街もあるため、利便性が高いと住みやすさにおいて一定の評価を得ています。

川越市の歴史

川越は現在の呼び名で、奈良・平安の頃はこのあたり一体を「みよしの里」とも言われていました

「伊勢物語」では「みよし野の田の面の雁もひたぶるに君がかたにぞ寄ると鳴くなる」と歌われています。

川越市はほとんど平地ですが、大昔には市の南東部まで遠浅の海だったようです。

縄文~弥生時代:小仙波貝塚跡

川越市内には貝塚(小仙波貝塚跡) なども発見されていて、比較的早い時期から住むのに適した土地だったと考えられています。

市内を流れる河川の流域などには縄文・弥生時代の住居跡が見られます。

平安時代の中頃から後期にかけて、坂東武者が闊歩し始める頃、この一体は河越氏や仙波氏が支配するようになりました。

常楽寺(上戸)周辺に館があったとされる河越氏は、鎌倉幕府の御家人として重用され、河越太郎重頼の娘は源義経の正妻となり、 重頼の子の重員は武蔵国留守所総検校職になるほどの実力を持っていました。

河越氏は坂東八平氏のひとつであり、その棟梁の流れを汲む秩父氏から出ました。

そして重頼が河越氏を称してこの地を支配し、 武蔵武士の中心地としてこの一体に絶大な権力を掌握しました。

鎌倉~江戸:川越七福神めぐり・天然寺

河越氏はその後、代々「武蔵国留守所総検校」という武蔵国最高の役職を世襲していき、 鎌倉幕府の御家人の中でも隠然たる力を示していきます。

室町時代に入ると河越氏は鎌倉公方足利氏満に反旗を翻し、周辺武士を集めて「武蔵平一揆」を起こしますが、氏満の大軍に攻め立てられ、 河越氏は滅亡し、歴史の舞台から消えていきます。

大田道灌により、河越城が築城され、そして、その後、武蔵国の要衝として、上杉、北条が交互に支配し、 その状態が江戸時代まで続きます。

江戸時代では家康のお師匠であった天海僧正が喜多院の大僧正として就任し、また、歴代の多くの大老が川越藩主から生まれるなど、 政治の舞台でも川越は暗躍していきました。

川越はいちはやく舟運や道路を整備し、江戸の北の守りとして産業や物資の流れの整備を強化していきました。 そのような理由から幕府は有力な大名を配置しました。

天然寺に実際に取材に行ったときの記事はこちらをご覧ください。

~現在:蔵造りの町並み

現在、その頃の風情が街のいたるところに残っています。

特に、旧川越街道沿いの蔵造りの街である一番街や、 川越市街を取り囲むかのように流れている新河岸川は江戸の風情を色濃く残しています。

時の鐘を町のシンボルとし、観光地として多くの客で賑わっています。

川越市の見どころ

時の鐘

川越のシンボルといえば、この「時の鐘」が一番有名なのではないでしょうか。

時の鐘は約400年前、川越藩主であった酒井忠勝によって建てられました。

度重なる大火事により消失してしまうといった災難を乗り越え、現在でも川越の観光スポットとして堂々と佇んでいます。

現在では、1958年に川越市の「指定有形文化財」に指定、1996年には環境省の「日本の音風景100選」にも認定されており、川越に来たならまず訪れておきたい場所の一つです。

菓子屋横丁

時の鐘近くにある人気の観光スポット「菓子屋横丁」。

長さ80mほどの商店街に20件以上のお菓子屋さんが軒を並べています。

着物や浴衣を着てお菓子を食べ歩きすれば、小江戸の情緒たっぷりの楽しい散策になること間違いなし!

氷川神社

川越氷川神社には1500年以上の歴史があり、古墳時代には創建、541年に武蔵野国一ノ宮の大宮氷川神社から分祀されたと伝えられています。

現在では縁結びのご利益があると観光客から絶大な人気を集めており、休日には多くの参拝客で賑わいます。

喜多院

喜多院の歴史は長く、古い伝承によると奈良時代までさかのぼります。

創建された当初は「無量寿寺」という名で、ご本尊に阿弥陀如来、脇侍として不動明王、毘沙門天などをお祀りしてきました。

時の鐘と同じく、寛永15年に起きた川越大火によって一度は消失してしまいましたが、3代将軍徳川家光公により復興され現在の姿を残しています。

喜多院は徳川家との関係が深く、「徳川家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」といった国指定重要文化財や県指定有形文化財が多数保存されており、現在でも実際に拝観することができます。

川越市へのアクセス

川越市へのアクセスについてご紹介いたします。

川越市は都心から約30kmほどの位置にあります。電車を使うと30分から1時間ほどでつきます。

ビジネスや観光で新宿に泊まる際には、ぜひ川越市まで足を伸ばしてみて下さい。

JR川越線

JR埼京線、東京臨海高速鉄道りんかい線、八高線と直通運転です。

  • 大宮~川越:18分
  • 新宿~川越:48分(通勤快速)

東武東上線

東京メトロ有楽町線と直通運転をします。

  • 池袋~川越:32分(急行)
  • 有楽町~川越:60分

西武新宿線

本川越駅は西武新宿線の始発駅であり、朝のラッシュ時でも座れることから通勤通学に便利です。

  • 西武新宿~本川越:43分(特急小江戸号、特急料金別途)
  • 西武新宿~本川越:57分(急行)

湘南新宿ライン

大宮駅で川越線に乗換えを行います。

横浜~大宮~川越:75分

車利用の場合

  1. 関越高速自動車道 練馬I.C.~川越I.C. 21.2km(800円)
  2. 圏央道(首都圏中央連絡自動車道)
    (鶴ヶ島JCTで関越高速自動車道に接続し、練馬方面へ)
    あきる野I.C.~鶴ヶ島JCT~川越I.C. 37.1km(1600円)
  3. 国道16号 八王子~川越市街 36km
  4. 国道254号 池袋~川越市街 32km

まとめ

この記事では、川越の概要や地理歴史などをご紹介しました。

川越市は埼玉県最大の観光都市として知られており、歴史も古く文化財も数多く残されている場所です。

池袋からは30分ほどでアクセスができることで、都内から日帰りでプチ旅行ができるスポットとしても人気が高まっています。

川越在住の方も観光に来た方も、さらに川越愛を深めるきっかけになれば幸いです!