東明寺は700年以上の長い歴史を持ち、日本3大奇襲の跡地として知られ、川越の歴史においてとても重要なお寺です。
戦国時代の出来事を今に伝えているこの東明寺は、川越市の指定史跡になっています。
今回は、そんな東明寺に参拝してきました。この記事では、東明寺の見どころ・アクセス方法・駐車場など、詳しい情報をご紹介しています。
東明寺:施設概要
賑やかな蔵造りの街並みから北へ、10分程度歩いたところに東明寺があります。
観光地の喧騒から離れて、静謐な境内で歴史に思いをはせながらゆっくり一休みするのに最適なロケーションです。
バスで直接向かう方は、「E12:大手門前」もしくは「E14:蔵の街」で下車してください。どちらのバス停からも、徒歩6分ほどでアクセスできます。
この記事の目次
東明寺の歴史
東明寺(とうみょうじ)は、鎌倉時代に時宗開祖遊行一遍上人(正応2年1289年寂)が開山となり創建しました。
山号は稲荷山(いなりさん)、院号は称名院(しょうみょういん)です。
東明寺は日本三大奇襲のひとつである「河越夜戦」の激戦地の一つであり、石碑や当時の戦いを伝える看板が残されています。
天文六年(一五三七)の戦いで、北条氏綱に川越城を取られた扇谷上杉朝定は、再びこれを奪還すべく山内上杉憲政、古河晴氏と連合して総勢八万余騎をもって、同十四年十月に川越城を包囲した。一方、福島綱成のひきいる城兵は、わずか三千でたてこもっていたが、翌十五年春にはすでに兵糧も尽きて非常な苦戦におちいってい たところ、北条氏康が八千騎をひきいて援軍としてかけつけ、四月二十日の夜陰に乗じて猛攻撃を開始した。これに呼応して城兵も城門を開いて打って出たので、東明寺口を中心に激しい市街戦となった。多勢をたのんで油断しきっていた上杉・古河の連合軍は、北条方の攻撃に耐えられず散々となって松山口に向って敗走をはじめ、この乱戦の中で上杉朝定は討死し、憲政も上州に落ちのびたと伝えられている。敵に比べて問題にならないくらい少ない兵力で連合軍を撃滅したこの夜戦は、戦略として有名である。
境内看板「川越夜戦跡」より
戦国時代に絶体絶命の窮地から奇跡の大逆転を果たした有名な三つの戦(桶狭間の戦い、厳島の戦い、河越夜戦)を日本三大奇襲と言います。
河越城籠城約3,000人+援軍8,000人の北条軍が、上杉・古河の連合軍約8万人を打ち破った河越夜戦の逸話はそのひとつです。
小田原の北条氏康は、約半年続く河越城の籠城を助けるため、戦いの最中であった今川義元に領土である駿河の一部を渡すことで和平し、急ぎ救援に向かうことを決断します。
しかしその救援軍は約8,000人と、連合軍の10分の1の勢力しかありません。
そんな危機的状況にあるとき、北条氏康は次のような指示をして夜襲を掛けます。
- 夜襲の時、敵味方の見分けがつくように全員に白い羽織を着用させ、合言葉を決める。
- 鎧や旗指物を禁じ、軽装備で襲撃に臨む。
- 討ち取った敵の首級はとらないように厳命した。これは当時としては常識外れの命令であった。
この事により連合軍を油断させることにも成功し、連合軍に1万人近い死傷者の打撃を与えて勝利します。
この一戦は関東の勢力図を一夜で塗り替え、北条氏康は関東一軍の支配を確立しました。
この戦の場となった河越城一体は寺社領であり、東明寺は正に激戦地となりました。
東明寺のご本尊・ご利益
東明寺の御本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。
虚空のように福徳と智慧(ちえ)をもち、人びとにこの二つの徳を与えて願いをかなえる大慈大悲の菩薩といわれています。
一般には 「知恵と記憶力をつかさどる仏さま」として人々より信仰をあつめており、成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上などの御利益があります。
また、空蔵菩薩は丑寅の守護仏(守り本尊)です。
丑年、寅年の人に対し、開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。
このようなご利益にあずかることができる虚空蔵菩薩ですが、虚空蔵菩薩を御本尊とするお寺は全国でも少ないそうです。
毎月13日が縁日となっているので、ぜひ13日にお参りしてみてください。
東明寺の見どころ
入口には東明寺に関する案内板があります。
東明寺は、時宗(開祖一遍上人)の寺で稲荷山称名院東明寺と称し、本尊は虚空蔵菩薩である。
お寺の位置は、川越台地の先端が水田地帯に接する北の端にある。このあたりからは、新河岸川を境として川越の町の北側を入間川を主流とする分流が幾筋も流れ、水田地帯を形成しており、古くからこの穀倉地帯を領する多くの武士団が存在した。東明寺は、こうした土豪の一人河越氏の庄園の東端に連なる広い寺領を有していた。その寺領は、東明寺村、寺井三か村、寺山村などに及び、広大な境内を有して、その惣門は今の喜多町の中ほどにあったと伝えられている。このことから、喜多町の古名を東明寺門前町と称したといわれている。天文十五年(一五四六)四月に戦われた上杉、北条軍の川越夜戦は、一名東明寺口合戦といわれ、この地の要路松山街道を含んだ東明寺寺領と境内で争われたものである。境内看板「東明寺」より
中に入ると周りの住宅街と一線を画した空間になります。
木々に囲まれ、掃き清められた境内は思いのほか広く感じます。伸びた石畳も美しくとても素敵な雰囲気です。
本堂は低い軒下がこじんまりとた印象を与え歴史を感じさせられます。
本堂脇にある四面塔も趣があります。3面にお地蔵様が2体づつ彫られ、来訪者を静かに見守っています。
境内には「河越夜戦跡」の石碑と句碑、将兵の遺骸を納めた富士塚が残されています。
また、俳句が刻まれた句碑も見ることができます。
「陽を恋うて睦み合う鳩冬の寺」大野一水の句碑です。
「こほりにもならで消えるや水の泡」時雨麦鴉の句碑です。
境内には大銀杏があり、10月末から11月にかけて鮮やかな黄色になります。また境内に稲荷諏訪天満宮の社も建立されています。
東明寺の授与品
東明寺ではお守りなどの授与品はありません。
御朱印を拝受することは可能ですが、必ず事前に連絡をしてから訪問してください。
東明寺の駐車場
東明寺の入口左側に、車を停められるスペースがあります。広いので自転車も停められると思います。
東明寺:アクセス
西武新宿線「本川越駅」徒歩20分
東武東上線・JR埼京線「川越駅」徒歩32分
バス停「E11:氷川神社前」徒歩6分
東明寺:各種情報
施設情報 | 東明寺 |
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住所 | 〒350-0051 埼玉県川越市志多町13-1 |
電話番号 | 049-222-4851 |
料金 | 拝観無料 |
営業時間 | 自由 |
営業期間 | 無休 |
駐車場 | 無料 |
まとめ
川越には全国に名が知れた有数の神社仏閣がたくさんあります。
その中でも東明寺は小さなお寺ですが、蔵造りの街並みから歩いてくることができる隠れたスポットです。
喧騒から離れた住宅街の中にあり、観光客もあまり多くありません。静かな場所で一休みしたい方にもおすすめの場所です。
川越観光の目玉である蔵造りの街並みは江戸時代後期の街並みや大正モダンの建物がみどころですが、東明寺のフォーカスは戦国の室町時代です。
今は戦国時代の面影を感じさせることのない一見のどかな寺院ですが、北条氏康山が内上杉氏・古河公方らと激しい戦をしたその場所、時代に思いをはせてみるのも楽しいでしょう。